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2009年11月 6日

21矢澤利弘

『あの日、欲望の大地で』:断片化され、寄木細工のように有機的に組み合わされた脚本。すべてが解き明かされたとき、観客は映画という表現形態の無限の可能性を実感するだろう。


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断片化された映像のピースが寄木細工のように次第に組み合わされていく。2つのストーリーがみごとに連結するときの映画的な高揚感。

ギジェルモ・アリアガ脚本・監督の『あの日、欲望の大地で』は時間の流れにいたずらをするかのようだ。エピソードとキャラクターを一見ランダムに出現させる ことによって、意図的に観客を混乱させる。構成が複雑なため、緊張感を持って映画と対決しないと脱落する。その点で、万人受けする映画ではない。映画が観客を選ぶことになる。

神わざのようなテクニックの脚本構成。その作劇上の技法に目を奪われがちだが、決してそれだけではない。広い大地で燃え盛るトレーラーハウス。墜落するセスナ機。派手さを排除した画作りが映画全体のトーンを貫く。

シャー リーズ・セロンとキム・ベイシンガーが演じる主人公ふたりのストーリーが平行して描かれる。観客は一体このふたりにはどんな関係があるのだろうと思って映画を見ざるを得ない。そしてすべてが解き明かされたとき、観客は映画という魔法の表現形態の無限の可能性を実感することになるだろう。確かに伏線は張られているが、最後まで分からないふたりの関係こそがこの映画の全体構造を規定する。

時制を意図的に前後させて複数のエピソードを描く映画は今までも多く作られているが、本作品は異色の出来映えである。原題は「燃える平原」。こちらのほうが映画の内容的にはしっくりとくるだろう。(了)

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