魔女のほうき
本日、メディア論第三回目を行いました。
公共性とナショナリズムの形成におけるメディアの役割という話をしましたが、その冒頭、すこしばかりスピノザの哲学について触れました。スピノザ、読んだことがあるでしょうか? それなりに努力は必要ですが、非常に魅力的な哲学者なので、いつかとくにその『エチカ』を読んでみてくれればと思います。
ところでそのスピノザについて、フランスの哲学者、ジル・ドゥルーズはその書『スピノザ 実践の哲学』の冒頭で、ある小説の次のような一節をひいています。
「さっきも申しましたように、私には全部理解できたわけではありません。でも、あんな思想にぶつかったら、誰だって魔女のほうきに乗っかったような気になります。あれを読んでからの私は、もうそれまでの私とは同じ人間ではありませんでした・・・・・・」(『スピノザ 実践の哲学』5頁)
ドゥルーズにとってもスピノザは、「魔女のほうき」のようなものだったのでしょう。彼の哲学のすみずみまで、スピノザは深く浸透しています。しかしドゥルーズにとってのスピノザに限らず、私たちにとってもよいコンテンツとは、すべて「魔女のほうき」のようなもののではないでしょうか。それは私たちを思いもかけないところへ導き、それまでとは異なる風景を見せ、そして最後には私たちを変えてしまうのですから。
あなたも自分にとっての「魔女のほうき」を思いつくことができるでしょうか?私には自分のための「魔女のほうき」(本、論文、映画、音楽など)がいくつかあります。そしてまた自分も誰かにとってのそういうものを作り出して生きたいと日々何やらものしています。
あなた方もそうであってほしいとおもいます。自分にとっての「魔女のほうき」をみつけるだけではなく、将来、ぜひ、誰かのための「魔女のほうき」を送り出してください。そうしてあなたたちが送り出した「魔女のほうき」に出会えることが、たぶん、教師にとっての一番の楽しみなのですから。
公共性とナショナリズムの形成におけるメディアの役割という話をしましたが、その冒頭、すこしばかりスピノザの哲学について触れました。スピノザ、読んだことがあるでしょうか? それなりに努力は必要ですが、非常に魅力的な哲学者なので、いつかとくにその『エチカ』を読んでみてくれればと思います。
ところでそのスピノザについて、フランスの哲学者、ジル・ドゥルーズはその書『スピノザ 実践の哲学』の冒頭で、ある小説の次のような一節をひいています。
「さっきも申しましたように、私には全部理解できたわけではありません。でも、あんな思想にぶつかったら、誰だって魔女のほうきに乗っかったような気になります。あれを読んでからの私は、もうそれまでの私とは同じ人間ではありませんでした・・・・・・」(『スピノザ 実践の哲学』5頁)
ドゥルーズにとってもスピノザは、「魔女のほうき」のようなものだったのでしょう。彼の哲学のすみずみまで、スピノザは深く浸透しています。しかしドゥルーズにとってのスピノザに限らず、私たちにとってもよいコンテンツとは、すべて「魔女のほうき」のようなもののではないでしょうか。それは私たちを思いもかけないところへ導き、それまでとは異なる風景を見せ、そして最後には私たちを変えてしまうのですから。
あなたも自分にとっての「魔女のほうき」を思いつくことができるでしょうか?私には自分のための「魔女のほうき」(本、論文、映画、音楽など)がいくつかあります。そしてまた自分も誰かにとってのそういうものを作り出して生きたいと日々何やらものしています。
あなた方もそうであってほしいとおもいます。自分にとっての「魔女のほうき」をみつけるだけではなく、将来、ぜひ、誰かのための「魔女のほうき」を送り出してください。そうしてあなたたちが送り出した「魔女のほうき」に出会えることが、たぶん、教師にとっての一番の楽しみなのですから。
