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2008年8月30日

04大野克人

ダークナイト

 ある学生から「ダークナイトの試写を見てきたが、鳥肌が立つほど素晴らしかった」と聞かされた。元来私の好みではないSFアクションなので、彼の話に加えて、新聞などでの評判がこれほど高くなければ、オリンピックを犠牲にしてまで観に行くことはなかったはずである。
 バットマン・シリーズはほとんど興味がなかったので、たくさんの登場人物や背景についての知識はまったく不十分で、本作も完全には理解出来なかったが、何故この映画がアメリカで興行記録を塗り替えるほどに大ヒットしているかを理解することは出来た。超大型トラックが縦に一回転するようなシーンを大型画面の大音響で見せることは、映画以外のメディアでは不可能である。しかも、本作は単なる勧善懲悪ではなく、明と暗、善と悪といった二面性が単純には対比できるものではないといった、アメリカ娯楽映画には珍しく多少の哲学的問題も提起している。単なるエンタテイメント・オンリーと言い切れないところが面白い。映画が大ヒットする前提条件であるアメリカの大衆が、我慢しながらもこの複雑な話を楽しんだという点にも興味を惹かれた。世界情勢に影響を与えるアメリカの大衆が、暴力と破壊だけの映画とスポーツを楽しんでいるだけでは、世界の状況は改善するようには思われないから、本作が「タイタニック」に迫る大ヒットになりつつあることはそれなりに結構なことではある。しかし、仮に本作がバットマン・シリーズではない独立作品であり、悪役ジョーカーを怪演したヒース・レジャーの突然の死去という話題が無かった場合、ここまでの興行成績を収めることが出来たであろうか?
 また、映画として観客を集めることが出来る作品が、「ポニョ」のように子供を利用した作品と本作のような大鑑巨砲作品だけになってしまうことで良いのであろうか?そうは言っても、オリンピックのテレビ中継を観ずに映画館に足を運ばすような映画を制作することは容易なことではない。

「○○君、『ダークナイト』は面白かったよ。もちろん、ロシアの『ナイト・ウォッチ』と比較すると、本物と贋物の差があったように感じます。しかし、鳥肌が立つほどではなかったです。」

2008年8月15日

05白川洋次郎

ふじうらは、死して「ふじうら.こむ」を残す

 私の会社の仲間で、ふじうら君というひとがいた。
若いときは、コピーライター、CMプランナーだったが、ミュージシャンでもあり名の知れたMac使いでもあった。
昔の言い方だとマルチメディアディレクタってやつをやっていた。
私のところに来たときには、一見、図体のでかいこわもてのおっさん風になっていたが、人生の遊び方がとても素敵なやつだったもんだから、いつも傍らにいてほしい存在だった。
彼は、いろいろな楽器が扱えたが特にベーシストとしての才能に秀でていた。会社じゃあ小うるさい白髪のおっさんなんだが、ひとたびステージに立つと陽気で素敵な伊達男になっていて、その流れるように奏でる指先は、鮎のように滑らかなきらめきで、女性でなくても惚れてしまう艶っぽさがあった。
私のところにいたときに、ステップ休暇や有給休暇をめいっぱい使ったら何日休めるかを真剣に計算し80日間アジア有給放浪の旅ってのを認めてくれと言ってきた。
あんまり面白かったので、会社に掛け合って送り出したこともあった。
家族にもいろいろ迷惑かけたんだろうなあとは思うけれども、ほんとにすごいひとで、会社にあっても自由人を貫いた。
東工大大学院に行っていた理科系のあたまも持っていたので、早くからパソコン通信をやりインターネットの時代になってからは、
「ふじうら.こむ」というサイトを作っていた。

その彼が、今年、癌でなくなった。
われわれは、楽しいやつを失ったことを大変残念に思い、悲しんだ。

ながなが書いたけれども、ここからが言いたいこと。
彼がいなくなったあとも、彼のサイト「ふじうら.こむ」は、
息子さんたちが管理してくれていて、いまも存在している。
このサイトにはいろいろ面白いコーナーがあるが、実は、ラグタイムを中心とした音楽の譜面検索リスト(List of Lesson Soft)、関連サイトのリンク集にもなっている。
これは、彼の音楽に対する愛情と情熱、幅広く且つ奥の深い博識、きめ細かな取材と緻密な分析、世界中にいる幅広い友人関係、大金をはたいて揃えた楽譜、資料、ビデオ、DVD、レコード、テープ、CD群の成果である。
おそらく個人でココまでそろったデータベースは少ないだろう。
日本でラグタイムやブルースなど音楽を楽しむ人や学ぶ人たちだけでなくプロの人たちにも大事なサイトになっている。
これが散逸しないことを望むのは私だけではないだろう。息子さんたちにはご苦労なことだとは思うけれども、少なくともサイトだけは、維持しておいてほしい。
会社ではあまり成果を挙げてくれなかったが、音楽の世界では大変な偉業を打ち立ててくれた。これが文化っていうもんじゃないかな。
まさに、ふじうら君は、死して「ふじうら.こむ」を残した。
ありがとう。合掌。
興味沸いたら、いまもある「ふじうら.こむ」にぜひ行ってみてください。
http://www.fujiura.com/index.htm

2008年8月 9日

04大野克人

事業構想論とプロデューサー

 銀行から宮城大学事業構想学部に転職する時、楽しみにしていたことの一つが「事業構想論」を研究・教育することであった。事業構想学部というのは、宮城大学にしかない学部であり、事業構想論という学問分野も明確に定義されているわけではない。

私が「事業構想論」を教えることができると考えた理由は三つあった。

第一の理由は、ハーバードのコッター教授が強調されている経営論で、経営にはビジョンと事業構想を提示し、リーダーシップを発揮して新しい分野に挑戦する機能と、既に存在している事業や組織を運営管理する機能があり、米国を含め世界の経営は後者の運営管理機能が過剰の状況にあるという考えである。日本にはこの傾向が一層強く、運営管理することが経営者やリーダーのすべてであると誤解している人も未だに少なくない。しかし、キャッチ・アップする相手や分野が少なくなった80年代以降のわが国では、ビジョンと事業構想の提示が格段に重要になったが、それが十分認識されていない。つまり、事業構想論とは、経営や財務といった経営に関する知識体系を将来に向けた事業構想に必要な体系に組み替えれば良さそうだというのが私の考え方である。

第二に、銀行生活の後半20年は、金融新商品や新技術の開発、それら新商品の事業化とプロモーションに携わってきた。企業体の内部の人間ではあったが、社内起業家として事業構想や新商品の企画・プロデュースに関係してきたという自負と経験を持っている。

第三に、大銀行で働くということは広く浅くではあるが、たくさんの人と知り合いになり、会社や事業経営の多様さを自然に事例研究することになる。どのような人間や事業が信頼できるか、将来性があるか、を見抜くことは銀行マンの本来的な基本機能であり、成功例や失敗例をたくさん見聞してきている。

 事業構想という素晴らしい名前を持った学部ではあるが、学生の多数派は単なる通過点としか考えていないものの、起業家やプロデューサーを目指している学生も少なくなかった。特に、入学試験の面接で、少なからぬ志願者が「プロデューサーになりたいので、事業構想学部に入学したい」と言っていたことが印象に残っている。実際、文化事業経営関連の授業やゼミは人気を集めていたし、角川映画からも客員教員がみえていた。

 したがって、映画・映像コンテンツ産業のプロデューサーやプロフェッショナル育成を目的に設立された弊学に移籍することも、私の観点から見れば、整合性を認めることが出来ている。「古手の銀行員が映画大学院で何をしているのか」というのは、事情を知らない連中で、ほっておくことにしている。

 

 何故このようなことを書きたくなったかというと、「トップ・プロデューサーの仕事術」という文庫本(日経ビジネス人文庫)を読み終わったからである。五味一男、亀山千広、李鳳宇等々ほぼ全員が弊学に関係する分野で実績を残されているプロデューサーで、本の内容は、忙しい売れっ子プロデユーサーたちから話を聞きだし、相当部分をジャーナリストの梶山寿子さんが書いておられる感じであるが、全体として同感することが非常に多かった。特に、印象に残った部分をいくつか下記に引用することにするが、3時間で読める分量だから、ご自分で読まれることをお勧めしたい。

 

①プロデューサーの仕事とは、クリエイティブの現場とビジネス・サイドをつなぐこと。クリエーターの「作品」をいかに「商品」にするかが、コンテンツ・プロデュースの肝といえるのだ。 

②プロデューサーが備えるべき能力は多岐にわたる。主要なものは、「新しいプロジェクトを立案する企画力」「幅広い人脈から最適の人材を選び出すキャスティング力」「スタッフをやる気にさせ、能力を引き出すマネジメント力」「事業を遂行する実行力、決断力」「必要な資金を集める資金調達力」「商品・サービスをヒットさせるマーケティング力、宣伝力」など。一般企業に置き換えると、新規事業を率いるプロジェクト・リーダーに近い存在だといえる。

③プロデューサー的な能力やスキルをつけることは、今後あらゆる業種のビジネスにおいて強い武器となるに違いない。新しい技術や製品、ビジネス・モデルがあっという間に陳腐化するなか、たゆまぬイノベーションが企業の持続的な成長の決め手となる世の中になった。私たちはクリエイティビティーが主導する「クリエイティブ経済」に直面している。

 

 未だ纏めきれていないが、私の「事業構想論」とほとんど同じ認識である。

2008年8月 7日

01工藤英博

~西5でちょっとだけお茶を~  「原田眞人監督を讃える」―「クライマーズ・ハイ」がこだわり抜いたリアリティ―

 1982年8月12日。群馬県に起った日航ジャンボ機の世界最大で最悪の単独航空機事故。当時、地元紙の社会部記者としてこの未曾有の大事故を取材した作家横山秀夫(「半落ち」)が、自らの壮絶な体験を元に17年の時を費やして書き上げたベストセラー小説「クライマーズ・ハイ」。

 その映画化は到底困難と思われていたが、原田監督の手によって悲惨な事故を追いかける新聞記者たちが繰り広げる過酷な取材過程や社内での人間模様などを描いた群像ドラマとして見事に成功し、迫力ある映像と溢れんばかりの臨場感は観るものを圧倒する。

 劇場内でまず眼につくのは原作者横山秀夫からのコメントだ。「胸を圧する映像、尋常ならざる臨場感・・・」。

 体験から言わせてもらうと小説家の中には映像化の許諾の条件として、原作のテイストを損なうことのないようにとか細かいことを注文してくる人もいるが、優れた作家ほど縛りを申し出ることなく、むしろ、メディアが違うもう一つ別の生きものになる映像作品の誕生を楽しげに待ってくれるものだ。

 映画化にあたって原田監督は横山氏から「原田色を存分に出して欲しい」と言われたそうだ。「原作それ自体がこんなに面白いのに」と悩んだ監督は、主人公の悠木和雅(堤真一)が新聞記者になるきっかけになった映画として「地獄の英雄」があった、という設定を加えたのだ。ちなみにこのアメリカ映画は巨匠ビリー・ワイルダーが「サンセット大通り」のあと製作、監督、脚本を担当した1951年作品。洞穴の落盤事故で生き埋めになった事件を背景に敏腕の新聞記者(カーク・ダグラス)や事故当時者らのすさまじい葛藤や駆け引きを描いた異色作で、この作品に登場する「チェック、ダブル・チェック」という新聞記者の精神は映画「クライマーズ・ハイ」の中で効果的に活かされている。

 さらに原田監督は思い切った脚色を次々とほどこす。原作の悠木には妻、息子、娘がいるが、映画では既に離婚している設定や、原作では5年前に新人記者を叱責して死に追いやるような形になってしまい、その影を引きずっている。同期の記者がデスクになっているのに悠木が遊軍記者でいるのもそのためだ。しかし映画の悠木にはそのような過去はなく、原作に比べて「熱い男」になっている。遊軍のままでいるのも、むしろ熱い記者魂の表れのような描かれ方だ。

 そのように観客が早い段階から感情移入しやすいように主人公の単純化や原作と異なる設定をしたり、ストーリーを削ったり、新たなエピソードの挿入など実に巧みな脚色だ。

 

080807.jpg  しかしこの作品が人々の心をつかんで離さないのは、リアルな描写にこだわり抜いていることだ。

 舞台になるのは北関東新聞社。小説、映画の上での新聞社だが、日刊スポーツによると原田監督はじめスタッフは画面に映らない背景から作り上げたそうだ。発行部数20万部、社員数約400人、組織図やフロア図、社員名簿まである。新聞ができる仕組みや流れなどを含め、分厚い資料がスタッフ俳優に配られた。編集局フロアの50人にはなんとエキストラは一人もおらず、全員が俳優。原田監督は「どんな小さな役にもキャラクター付けをした。キャラクターは俳優でないと体現できないのでエキストラは入れなかった。だからフロアのどこをどう映しても新聞社の人間として自然な動きと会話が出来ているはず」と説明する。堤をはじめ主要キャストは新聞社を見学し、全員のリハーサルでは新聞社の1日をシュミレーションした。取材に行く者、休憩する者、出社する者・・・。自分はこの時間に何をしている人間かを理解したという。

 小道具にもこだわって、記者のメモ帳や整理部員が紙面レイアウトで使う倍尺、壁のカレンダーなどには映らなくても「北関東新聞」のロゴを入れた。外からは見えづらい新聞社を描いた作品だが、観客が自然に入っていけるのは、このように徹底的にリアリティにこだわったからだ。

 キャストも堤真一をはじめ個性派を起用して魅力的だが、変幻自在で多くの可能性を秘めた俳優として私が以前から注目している堺雅人は「篤姫」の将軍家定とはうって変わって、眼光鋭い社会部記者を好演している。堺は新聞社へ行って実際に改行の仕方から原稿をどう送るか、そして食生活まで記者のイロハを頭に入れる努力をしたそうだ。

 今も観客動員や興行収入は快進撃を続けているが、わが友製作:若杉正明(ビーワイルド)は、いろいろな意味で文字通り勝負を賭けた作品、正直ほっとしていると言う。

 「極限の興奮で感覚が麻痺する精神状態とそれが解けた時に押し寄せる更なる恐怖感・・・クライマーズ・ハイ。」重要な決断を迫られた悠木を的確に表現している秀逸なタイトルだと思う。

 原田監督にとっては、名実共に堂々たる代表作になると思うのだが、アメリカへも進出する「クライマーズ・ハイ」の更なる成功を心から祈っている。

2008年8月 4日

04大野克人

ロシア映画「ナイト・ウォッチ」

ソクーロフの「太陽」以外には最近のロシア映画を観てないので、話題作で日本でも劇場公開された「ナイト・ウォッチ」を観ることにした。概要紹介には、「セルゲイ・ルキヤネンコのベストセラー小説の3部作の内の第1章を映画化し、ロシアで興行収入ナンバーワンの大ヒットを記録した、過去から連綿と続く""""の戦いを描いた壮絶なファンタジー」とある。

 

私は、スピロバーグ作品を含めてSFアクション系の映画は好きではない。この偏見の根拠は、現実の世の中に山ほど面白い材料や深刻な問題が存在しているのに、好んで荒唐無稽な作り話に付き合う必要も時間もないと思っているからで、「ナイト・ウォッチ」がロシア映画でなければ、先ず観ることはなかったと思う。

もう一つの前提は、ロシアの文学や芸術は人類の宝であり、これらを背景にしたロシア映画には、エイゼンシュタイン、タルコフスキーなど、私でも観たことのある歴史的傑作が存在しており、最近余り話題になっていないが、ロシア映画には素晴らしいものがあるはずであるという期待感の存在である。

 

結論を言えば、「ナイト・ウォッチ」に対する前向きの興味は10分で失われ、後は耐えがたきを耐える時間となった。この映画は、場末で作られたハリウッドSFアクションの物まねにしか観えない。ハリウッドSF作品には、CGの楽しさや愛嬌のあるキャラクターといった救いがあるが、予算と技術の制約やスラブ系の暗い顔の役者が多いといったことからか、SF映画のエンタテイメント性すら失われている。荒唐無稽な作り話を深刻な顔と多量の流血で描いて、何を表現しようとしているのであろうか?新しい社会を作るはずだったロシア革命、そしてアメリカと対峙した歴史を持つ大国が、ハリウッドの猿真似をしているとすれば、寂しい限りである。