1982年8月12日。群馬県に起った日航ジャンボ機の世界最大で最悪の単独航空機事故。当時、地元紙の社会部記者としてこの未曾有の大事故を取材した作家横山秀夫(「半落ち」)が、自らの壮絶な体験を元に17年の時を費やして書き上げたベストセラー小説「クライマーズ・ハイ」。
その映画化は到底困難と思われていたが、原田監督の手によって悲惨な事故を追いかける新聞記者たちが繰り広げる過酷な取材過程や社内での人間模様などを描いた群像ドラマとして見事に成功し、迫力ある映像と溢れんばかりの臨場感は観るものを圧倒する。
劇場内でまず眼につくのは原作者横山秀夫からのコメントだ。「胸を圧する映像、尋常ならざる臨場感・・・」。
体験から言わせてもらうと小説家の中には映像化の許諾の条件として、原作のテイストを損なうことのないようにとか細かいことを注文してくる人もいるが、優れた作家ほど縛りを申し出ることなく、むしろ、メディアが違うもう一つ別の生きものになる映像作品の誕生を楽しげに待ってくれるものだ。
映画化にあたって原田監督は横山氏から「原田色を存分に出して欲しい」と言われたそうだ。「原作それ自体がこんなに面白いのに」と悩んだ監督は、主人公の悠木和雅(堤真一)が新聞記者になるきっかけになった映画として「地獄の英雄」があった、という設定を加えたのだ。ちなみにこのアメリカ映画は巨匠ビリー・ワイルダーが「サンセット大通り」のあと製作、監督、脚本を担当した1951年作品。洞穴の落盤事故で生き埋めになった事件を背景に敏腕の新聞記者(カーク・ダグラス)や事故当時者らのすさまじい葛藤や駆け引きを描いた異色作で、この作品に登場する「チェック、ダブル・チェック」という新聞記者の精神は映画「クライマーズ・ハイ」の中で効果的に活かされている。
さらに原田監督は思い切った脚色を次々とほどこす。原作の悠木には妻、息子、娘がいるが、映画では既に離婚している設定や、原作では5年前に新人記者を叱責して死に追いやるような形になってしまい、その影を引きずっている。同期の記者がデスクになっているのに悠木が遊軍記者でいるのもそのためだ。しかし映画の悠木にはそのような過去はなく、原作に比べて「熱い男」になっている。遊軍のままでいるのも、むしろ熱い記者魂の表れのような描かれ方だ。
そのように観客が早い段階から感情移入しやすいように主人公の単純化や原作と異なる設定をしたり、ストーリーを削ったり、新たなエピソードの挿入など実に巧みな脚色だ。
しかしこの作品が人々の心をつかんで離さないのは、リアルな描写にこだわり抜いていることだ。
舞台になるのは北関東新聞社。小説、映画の上での新聞社だが、日刊スポーツによると原田監督はじめスタッフは画面に映らない背景から作り上げたそうだ。発行部数20万部、社員数約400人、組織図やフロア図、社員名簿まである。新聞ができる仕組みや流れなどを含め、分厚い資料がスタッフ俳優に配られた。編集局フロアの50人にはなんとエキストラは一人もおらず、全員が俳優。原田監督は「どんな小さな役にもキャラクター付けをした。キャラクターは俳優でないと体現できないのでエキストラは入れなかった。だからフロアのどこをどう映しても新聞社の人間として自然な動きと会話が出来ているはず」と説明する。堤をはじめ主要キャストは新聞社を見学し、全員のリハーサルでは新聞社の1日をシュミレーションした。取材に行く者、休憩する者、出社する者・・・。自分はこの時間に何をしている人間かを理解したという。
小道具にもこだわって、記者のメモ帳や整理部員が紙面レイアウトで使う倍尺、壁のカレンダーなどには映らなくても「北関東新聞」のロゴを入れた。外からは見えづらい新聞社を描いた作品だが、観客が自然に入っていけるのは、このように徹底的にリアリティにこだわったからだ。
キャストも堤真一をはじめ個性派を起用して魅力的だが、変幻自在で多くの可能性を秘めた俳優として私が以前から注目している堺雅人は「篤姫」の将軍家定とはうって変わって、眼光鋭い社会部記者を好演している。堺は新聞社へ行って実際に改行の仕方から原稿をどう送るか、そして食生活まで記者のイロハを頭に入れる努力をしたそうだ。
今も観客動員や興行収入は快進撃を続けているが、わが友製作:若杉正明(ビーワイルド)は、いろいろな意味で文字通り勝負を賭けた作品、正直ほっとしていると言う。
「極限の興奮で感覚が麻痺する精神状態とそれが解けた時に押し寄せる更なる恐怖感・・・クライマーズ・ハイ。」重要な決断を迫られた悠木を的確に表現している秀逸なタイトルだと思う。
原田監督にとっては、名実共に堂々たる代表作になると思うのだが、アメリカへも進出する「クライマーズ・ハイ」の更なる成功を心から祈っている。