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プラダを着た悪魔

2008年6月 9日 18:33 [04大野克人]

 それほど興味を持っていた映画ではないので、本作DVDを観たのは本年3月で、その時の私の寸評は次のようであった。

「本作はアメリカ商業映画の傑作である。アメリカには多様な社会集団が存在する。メリル・ストリープ演ずる資本主義の価値観を体現したようなビジネス・エリート、アン・ハサウェイが演じる知的ジャーナリスト等もそのような社会集団である。
 これらの価値観は明確に相違している。本作の主役女性二人に共通しているのは、自分の価値観に忠実に全力で生きていることであり、アン・ハサウェイが敗者であるということではまったくない。ビジネス・エリートがアメリカのすべてと考えていては、アメリカの多様性と強さは理解出来ない。
 アメリカの相違する二種類のエリートを、華やかで女性の興味を惹きつけるファッション業界で対峙させるシナリオは、商業映画として素晴らしい企画である。そして、主演女優二人の魅力と演技力も素晴らしい。
 大鑑巨砲主義だけがアメリカの商業映画ではないことを示したアメリカ商業映画の傑作であると考える。」

 

能力・知識の上の人間が後輩との力の差を判断することは比較的正確にできるが、能力・知識で劣る人間が上の人間との格差を判断することは極めて難しい。下の人間は、何を理解し何を知らないかすら正確に把握できてないのであるから、当然にそうなる。私の専門分野であるファイナンス特に金融技術に関しては、自分が世界のトップ・グループに属していることを背景にして申し上げている。これはM.ショールズ、R.マートン、W.シャープなど、この分野でノーベル賞を受賞した学者や世界のトップクラスの金融機関のトップマネジメントと接触し、議論をし、仕事をしてきた経験に裏付けられた自信である。金融庁、日銀、日経新聞あるいは学界などの金融関係の専門家と呼ばれる人達の理解の精度や誤解も、未だ見抜くことが出来るだけの力の差を残している。したがって、私の専門分野に関して、半可通の連中がいっぱしの顔をしていると怒りを感じてしまうことがある。

この観点を逆に言えば、私は映画やテレビなどの映像コンテンツ制作やプロデュースに関して、その道の一流どころに追いつくことは、この人生では先ずあり得ないだろうし、謙虚でなければならないということである。つまり、私は、この映画は名画であるとか、傑作であるとかを軽々に言える立場にはない。しかしながら、ペンと一人の作家で成立しうる小説や絵画と違い、映画・映像コンテンツ制作には相当の資金投資が必要であり、その回収が必要である。このことは、映画・映像コンテンツ産業の成立には、どの程度一般大衆の支持が得られるかという観点が不可欠であることを意味し、一般大衆の一人として、あるいは映画の消費者として、私が映画を云々する意味が出てくるように思われる。私がセザンヌよりモネーの方が素晴らしいと言っても世の中には何の変化も生じないが、一般大衆の一人として、時間と小金があるシニアー・シチズンの一人としてある映画を気に入るか否かは、その映画の成功を左右する風見鶏になるはずである。

上記の「プラダを着た悪魔」の寸評も、その観点から読んでいただきたい。映画プロデューサーに必要な要素にビジネス・センスがあるとすれば、「プラダを着た悪魔」の企画者は素晴らしいビジネス・センスの持ち主であり、プロデューサーである。アメリカ社会の人間像をうまく切り出すことにより、単なる娯楽作品ではなく、社会問題、人間関係、処世術などまでを包含することにより観客の層を広げ、しかもファッション業界という華やかで興味を惹く舞台を設定している。また、プラダなどのブランド品は、売上原価率が30%程度と言われているから、ブランド・メーカーの広告・宣伝を兼ねた制作協力も取り付けやすい。そこに名優メリル・ストリープを引っ張り出してくれば、商業映画として失敗する可能性はほとんど無くなってしまうはずである。