「フィクサー」など
新しい映画も勉強していることを示さないと、読んでくれなくなるかもしれないので、連休前後に観た映画何本かの感想を書きます。(シニアー料金1000円はありがたいが、シニアー1200円、一般1400円くらいにすべきではないだろうかね。)
本年度アカデミー作品賞など多数の部門で候補作であり、社会派スリラーという私の好きな題材であるから、遅ればせながら「フィクサー」を観に行った。大変面白かった。アカデミー作品賞を受賞した「ノーカントリー」、同候補作「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」が荒削りで素人っぽい感じが残るのに対して、本作は計算され尽くした将にプロの作品のように感じられた。脚本家が自信を持って監督した作品らしく、緻密な整合性と計算された構成になっており、ほとんど無駄な部分を感じることがなかった。アメリカの大法律事務所やそこに働く人々、大企業に生きることの厳しさ等々も十分に説得的であった。ビジネスの非人間的な厳しさに、崩れ行くやり手弁護士や殺人にまで手を染めることになる女性法務部長の姿に、人間の弱さを滲ませている。(現実には、彼らほど優秀でもなく、彼らほどギリギリまで仕事に追い詰められない連中が、黒塗りの社用車に乗り偉そうな顔をしているわけであるが・・・)
「ノーカントリー」が毒々しく強い印象を残すのに対して、本作はあまりにスマートに作られて個性を欠く印象になったことが、作品賞で敗れた理由ではないだろうか。また、Yahoo映画の評価を見ていて気が付くのは、本作があまりに緻密に計算され、理解に一定のレベルで背景を理解出来る知識を要求する結果、理解出来ないとか退屈だといった誤解が生まれているようで、良く出来てはいるが、やや大衆性に欠ける点が商業映画としての問題点かもしれない。
映画の背景説明としては、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の血の意味や宗教的背景を詳しく説明してくれた人がいたが、とてもそこまで深く理解することは出来なかったし、いい加減に作った話を深読みし過ぎているような感じもする。シンクレアの原作は知らないが、原作に引きずられて、映画としての焦点が絞り込めず、長くなり過ぎたように思われた。石油成金、キリスト教的新興宗教、暴力はアメリカ社会とその歴史の象徴であり、それを露骨と言えるほど強く正面に押し出している。アメリカを最も進んだ望ましい国と考えるべきではなく、将に新興新世界であることを改めて感じさせられた。言うまでもないが、ブッシュ、チエイニーの正副大統領とも石油資本をバックにしており、新興宗教の票が当落を左右し、銃砲ロビー活動が強く社会の暴力性は収まらない。「ノーカントリー」も、暴力性と反教養主義を描いていた。緑や水のない土漠の中を転げまわるような風土から、優しさを生み出すことが可能なのであろうか?このような風土で育った人間がアメリカのそれなりの比率を占め、そのような国が世界を左右していると考えると恐ろしくなってくる。
社会派映画として「フィクサー」と「相棒」を比較してみると、チェス・ゲームの謎解きを途中で放棄してしまった弱点が「相棒」にはあるので、映画の完成度では大差で「フィクサー」に軍配があがると思うが、「相棒」の方が大衆受けする要素が多く、興行成績は「相棒」に大きく水を空けられている。しかし、「フィクサー」や「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」には、アメリカが面白い社会派スリラー・エンタテインメントを作り出す力が残っていることを示した功績はあると思われる。
